Archive for December 2005

30 December

人生経験バトン

ひざっちに人生経験バトンてのをやれと言われた。
書きたいわけじゃないけど嫌いじゃないのでやります。

長いです。(いつも長いけど)
 ↓
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29 December

Eについて

花田勝、ヒゲ生やしたんだ。

って思ったら、今話題のスピリ○ュアルカウンセラーのEだった。
彼に対しては、好きも嫌いもない。
どうでもいいと思ってた。
観月ありさ主演のドラマと同じくらいどうでもいいと思ってた。
Eのことをよく知らない僕は、
胡散臭い人、といったかんじで数人にEのことを話した。
すると、びっくりすることにみんな決まって、
Eだけは本当らしいよ、とか、Eは実際すごいよ、と言う。
えええ?なにそれえ?
と、全身をめいっぱい使って驚いている。
それ以来、Eには気をつけろ、と言い聞かせている。
自分に。
今、人前でEの悪口を言うのは危険だ、とすら思う。
だから名前も伏せてみた。

先日のクリスマスイブに放送された番組の冒頭、Eが、
私は神道の人間だからクリスマスは関係ないですが、でも今日は聖夜ですからね。
と言ってた。
まあ、これはテレビ用の言葉か、台本に書かれた言葉か知らないが、
でも、
Eに対して抱いていたモヤモヤを、納得させてくれた言葉だった。

03:09:17 | sanpodouraku | | TrackBacks

26 December

関係ないけど今日は六本木へ行った

これだけはしちゃいけない、と常々思っているのが、
人生のダメ出しだ。
人生のダメ出しとは、だからお前はダメなんだと、その人の生き方を否定するものである。
芝居のダメ出しをしている最中、ふと緩むと口に出ることがある。
もちろん冗談で。
まわりのみんなは笑う。
言われた本人も笑う。
が、案外それは冗談の形を借りてはいるが、全くの冗談でもなかったりする。
それは本人もうすうすわかっていて、よく見ると、
笑いながらも、頬の目の辺りがひくひく引き攣っていたりする。
そんなとき、悪いこと言ったな、と思う。
オレは何様だ、と思う。
なんでこんなことを書いてるかというと、
ついさっきもソリティアをやりながらある人物について考えていて、
そして至った結論を本人に言ってやりたいという思いが抑えきれないでいる。
その人のことは好きで、でも“なんかもうちょっとなぁ”というモヤモヤとした印象は前からあって、
考えるうちに、そのモヤモヤとしたものは、
この先彼が生きてく上において、すごくネックになることじゃないだろうか、と思えてきたのだ。
それがおそらく治らないものであろう場合は、僕の憶測でただ闇雲に彼を傷つけてもしょうがないし、
それはもちろん言わないで心に閉まっておけばいいわけだけど、
例えばこういうちょっとしたことを気をつければいいんじゃないか、と、
ひとつ具体的なことが浮かんだので、それを本人に言いたくてしょうがない。
でもやはり言わない方がいいんだろう。
考えれば考えるほど彼にとって「大きなお世話」だという気がしてきた。
やはり言わないでおこう。
人のことより自分をなんとかしろよ。
自分にダメ出せよ。
と、今、これを書きながら思い直した。
よかった。
それにしても、ブログでこういうのを読むと、
これは自分のことじゃないか、と思えてくるから厄介だ。
でもきっとあなたのことじゃないです。
本人は意外と気付いていないものです。

23:32:33 | sanpodouraku | | TrackBacks

24 December

クリスマスについて

30を過ぎた男のわき腹についた肉を、僕は贅肉と呼ばない。
「大人の余裕」と呼んでいる。
でも顔が太ると大人感が(僕の中で)激減するので、顔は太りたくない。
それと同じことが、クリスマスにもいえる。
いや、いえないか。
なにはともあれ世の中はクリスマスだ。
はしゃぐのも嫌だけど、斜に構えてるのもかっこ悪いので、
チキンをあれすることにした。
パスタとシャンメリーも買った。
余裕のある人が「うちはクリスマスなんて関係ないですから」と言うのは納得できるが、
余裕のない人が同じことを言っても、いろんな憶測が付いてくる。
誰が憶測するかってそれは主に自分自身なわけだけど。
そうやって、クリスマスに便乗せざるを得ない窮地に立たされるわけだ、我々は。
知らないあいだに。じわじわと。
僕はなんのためらいもなく「メリークリスマス」を口にする奴はロクなもんじゃないと思っている。
だからってわけじゃないが、チキンをカゴに入れてレジに並んでると、軽い罪悪感にさいなまれる。
あら、あそこのおたくもクリスマスよ。
そんな幻聴が聞こえてくる。
いや、違うんすよ。と手をブンブン振って否定したいが、うまい言い訳が浮かばない。
カゴの脇に子供でも立っててくれれば、子供のために、という大義名分が生まれるから、
子供はいないかと周りを見回せど、なかなか都合よく子供がレジにいない。
鼻水垂らしてちんちん握ってるような、頭の悪そうな子供は嫌だな、なんてことを考えてしまうし。
レジに並ぶ僕の周りに意外と多いのが、疲れたかんじのおじさんだ。
彼らのカゴに出来合いの弁当やカップ麺でも入っていればそれはそれで好意を抱くが、
ケーキやシャンパンが入ってると、おいおっさん、いいのかそれで。と言いたくなる。
クロ〜ズョア〜イズ〜ひ〜とみ〜をとじれ〜〜ば〜(長渕剛)
というBGMを店内に流して欲しい。
でも僕もそんなおじさんと同じなわけで。
お互い辛いですな。
と肩を組んでもいいような、あれだ、心境だ。
いや、同じじゃない。
同じなんて今の僕にしたらおこがましい。
おじさんたちが担いでるであろうその重い十字架。
それに比べたら僕なんて足元にも及ばない。
しょうがないんだ。
みんな真綿で首を絞められてんだ。
でも一生懸命、生きてんだ。
それが生きるってことだ。社会ってことだ。
いっそのこと、三角の帽子かぶるか。クラッカーをパーンてするか。
メリークリスマスって叫ぶか。
涙しながら。
大袈裟か。
それはそれで楽しいか。
きっとそうだな。
もうそろそろ料理を作ります。
ではみなさん、メリークリスマス。

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23 December

帰ります



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